宮古の浄土ヶ浜をおじさんと歩く
11月15日 火曜日 宮古
道の駅でも、めっきり車中泊してる人が少なくなりました。むしろ、全然いません。
昨日は近くに大分ナンバーがとまってたので何だか安心しました。
ジムニーで狭くないのかな?と、不思議だったので朝話してみると、運転席以外は取り外して板を敷いていて、なるほどーと思いました。
人の車見るの楽しいです。
今日は、浄土ヶ浜に行きました。
ある僧が、極楽浄土の様だと言ったという浄土が浜。
観光ボランティアガイドのおじさんが、駐車場から浜まで案内してくれました。
宮古では、ありがとうをおおきにと言うそうです。
宮古市の宮古は京の都からもらった名前だとか、浄土ヶ浜の由来、石の話、海の話、色んなお話が聞けました。
今まで食べた肉の中で一番美味しかったのはタヌキと言うのには興味をそそられました。
そして、津波の話もしてくれました。
津波の語り部もしているそうで、とても詳しく教えてくれました。
私が聞きたかったこと、考えてもみなかった事、体験したから言える事、本当に貴重なお話が聞けて良かったです。
この石碑。
石巻の方があちこちに寄付しているそうです。
津波が来たらすぐに高台に逃げる事などが大切な教えが書かれていますが、いかんせん見にくいし、字体や文体も古いので読みづらい。
人が見ないのでは意味がないということで、ある地域ではこれを木で作ろうとしているそうです。木なら腐るので作り変えるし、その度に時代にあった文に直せると言うのです。それはいいアイデアです。
山の向こうの集落には40mの津波が来たそうですが、家などの物的被害はなかったそうで、なぜなら先祖の人たちが、ここから先に家を建てるなと石碑を残していたからなんだそうです。だから津波が来た所には家がなかった。
すごい話だと思いました。
だって、漁師さんなら海に近い所に家を建てた方が便利なのに、先祖の教えをちゃんと守っていた。来るか来ないか分からないものを予防していたんです。
不便さよりも、危機管理を優先出来ていた事がすごい。
あと、今どこも作ってる高い高い防波壁。おじさんは、ずっと反対だったそうです。海が見えなくなるから。確かに、海は全く見えません。
やっぱり反対の声もあるんだ。
けど、ある人にこういう考え方もあるというのを聞いて、納得したそうです。
高い防波堤があった地域となかった地域とでは、行方不明者の数が全然違うそうです。最期のお別れが出来るのと出来ないのでは残された人の気持ちが大きく変わる。いつまでも区切りをつけられなくて辛い思いをする。だからそういう意味で考えると、防波壁は必要なのかもしれないと思うようになったそうです。
その考えには思い至りませんでした。
けどあれだけ高いと波もそうそう超えてこれなそう。
やはり地元の方でも、津波の恐ろしさを後世に伝えて行こうと思う方と、津波の話なんかしたくない聞きたくないと思う方といるようです。
至る所で津波の看板を見ますが、やはりそれも嫌だという人もいるそうです。
心無い事を言った観光客の話には腸が煮えくり返りました。
優しい心を持って被災地に来て欲しいと言っていました。
ビジターセンターはお洒落な建物で、展示などもありました。
色んな事を教えてくれたおじさんに感謝です。
お昼はカレー屋さんへ。
950円でカレーやナン、ラッシーやデザート、サラダなどが食べ放題。
なかなかカレーってそんな食べれないですね。
けど、ラッシー久しぶりに飲んだら美味しくていっぱい飲んじゃった!
インドを思い出しました。
悪い思い出しかないけど。
おじさんが、近くの川が本州で一番鮭が多くて今の時期うじゃうしゃいるというので行ってみましたが、おらず。
やっぱちょっと遅いんじゃ?
旭湯
懐かしい感じの銭湯。
あの、頭入れて乾かすやつとか、自分で動かすマッサージ椅子とかありました。
人工温泉。
薪で沸かしてました。
煙突のある銭湯久々見た。
道の駅に戻り、ブログ更新。
今日は寒いです。